2010年 04月 12日
植えたばかりのサツマイモの苗を遅霜で全滅させた話の続編 |
長野に移り住んでまず必要となったのが軽トラでした。4年前の夏のことです。
地元の中古自動車販売店を二日くらいかけてあちこち見てまわり、となりの小海町の販売店にある一台(ダイハツハイゼット)に決めたのですが、応対してくれたY社長に、「じつは畑を借りたいんスが」と切り出すと、Y社長はすぐに携帯をとりだし「東京からこっちに来た人がいるんだけど、畑借りたいっていうだにィ(「だにィ」は長野の方言。東京弁の「だよ」)。……うん、あ、そうけぇ、わかった」
電話を切ったY社長は、いま電話したのは高校のときの友だちだといい、
「じゃ、Nさん、これから畑を見にいくからホー(「ホー」または「ヘー」は長野の方言。東京弁の語尾につける「さ」のようなもの)、私のあとについてきな」
「あ、はい」
話の急展開に戸惑いながらY社長の荒っぽい運転についていった先は、町と私の家の中間くらいのとこにある集落の一軒の農家でした。Y社長が出てきたTさんに私たちを紹介すると、Tさんは自己紹介するわけでもなく、ただ小さくうなずいて、Y社長に身振りで「じゃ、行くかい」
このTさん、必要なこと以外はしゃべらない、人の冗談には笑ったことがあるが自分から冗談を言ったことはいままでの人生でおそらく一度もないという朴訥を絵に描いたような人で、今度はそのTさんの軽トラを先導に道路から未舗装の登り坂をトコトコ2分ほど走ると、目的の畑とおぼしき場所に到着しました。
しかしTさんは、車から降りた私たちに「ここです」とも何ともいわず、きれいに耕された休耕地の前に黙ってたたずむのみ。
察した社長が「ここけぇ? いいところだにィ」といい、私たちも一目みて、
「うわーっ、いいところ!」と驚きの声をあげました。
まず、眺めが最高でした。
南を見れば八ヶ岳が、北を見れば浅間が、東を見れば奥秩父の山々が一望できたからです(家を建てるのならともかく、畑に眺めの善し悪しはあまり関係ないんですけどね)。しかも畑は広大でした。ちょっと変形の土地でしたが、幅約25m、奥行きは約60mくらいあるでしょうか。
「エー、こんな広いところを借りられる……んですか」
と驚く私たちにTさんは、貸すのは全部ではないこと、この畑の好きなところをどこでも使っていい、と言葉少なに答えました。そこでY社長が「100坪もあれば十分だにィ」というので「じゃあ、100坪お願いします」というと、Tさんは軽くうなずき、あっという間に交渉は成立しました。その夜、私たちは「軽トラを買いにいったら、畑もついてきた」と大喜び。貸借料5000円(年間)と菓子折りを持ってあいさつにいったのはその年の暮れのことでした。
そして年が変わった3月下旬、Tさんといっしょに畑に行くと、Tさんはメジャーをとりだし、畑の東端から計測しはじめ、何mのところで印をつけたのか離れていたのでよくわかりませんでしたが、おそらく15m付近でしょう、そこに枯れ枝を突き刺すと、今度は反対側に回り、今度はメジャーを使わず目測でおおよその見当をつけたところにまた落ちていた枯れ枝をグサリ。このときもTさんは言葉を発せず、私が「ここまで、ですね?」と確かめると小さくうなずいたのでした。Tさんは必要なこともしゃべらない人でした。
そして畑にクワを入れたのが4月はじめ。耕耘機などない私たちは人力で耕すしかなく、クワ担当の私はひたすらクワを振るいました。土はそれほど固くはなかったのですが、雑草の根はいやというほど張っていたし、人力で耕すには広すぎました。Tさんが計測したとき、どうみても100坪以上はゆうにありそうなのを見て、「Tさん、オマケしてくれたんだ」と喜んだ私たちでしたが、いざ耕し始めるとオマケしてくれたことが恨めしく思え、「どうみても、ここ100坪以上あるよ〜」と何度音をあげたことか。
あ、言い忘れていました。私たちの農業経験ですが、東京にいたときに市民農園を3年ほど借りていろいろな野菜をつくり、借家の小さな庭に少しですが陸稲を植えていたこともあり、トーシローにはちがいがありませんが、それに少し毛が生えた程度といったところでしょうか。
汗と土でドロドロになりながらなんとか耕し終えたあと、ジャガイモの種イモやサツマイモの苗、トウモロコシやらいろんな種類の種を植え、その後もちょいちょい水やりに行っていたのですが、お話したとおり、5月に入ってからの遅霜でサツマイモの苗が全滅したのです。春だというのにひどく冷え込んだ夜があり、翌朝畑に行ってみると、サツマイモの葉がホー、茶色に変色してしなびていただにィ。(つづく)
地元の中古自動車販売店を二日くらいかけてあちこち見てまわり、となりの小海町の販売店にある一台(ダイハツハイゼット)に決めたのですが、応対してくれたY社長に、「じつは畑を借りたいんスが」と切り出すと、Y社長はすぐに携帯をとりだし「東京からこっちに来た人がいるんだけど、畑借りたいっていうだにィ(「だにィ」は長野の方言。東京弁の「だよ」)。……うん、あ、そうけぇ、わかった」
電話を切ったY社長は、いま電話したのは高校のときの友だちだといい、
「じゃ、Nさん、これから畑を見にいくからホー(「ホー」または「ヘー」は長野の方言。東京弁の語尾につける「さ」のようなもの)、私のあとについてきな」
「あ、はい」
話の急展開に戸惑いながらY社長の荒っぽい運転についていった先は、町と私の家の中間くらいのとこにある集落の一軒の農家でした。Y社長が出てきたTさんに私たちを紹介すると、Tさんは自己紹介するわけでもなく、ただ小さくうなずいて、Y社長に身振りで「じゃ、行くかい」
このTさん、必要なこと以外はしゃべらない、人の冗談には笑ったことがあるが自分から冗談を言ったことはいままでの人生でおそらく一度もないという朴訥を絵に描いたような人で、今度はそのTさんの軽トラを先導に道路から未舗装の登り坂をトコトコ2分ほど走ると、目的の畑とおぼしき場所に到着しました。
しかしTさんは、車から降りた私たちに「ここです」とも何ともいわず、きれいに耕された休耕地の前に黙ってたたずむのみ。
察した社長が「ここけぇ? いいところだにィ」といい、私たちも一目みて、
「うわーっ、いいところ!」と驚きの声をあげました。
まず、眺めが最高でした。
南を見れば八ヶ岳が、北を見れば浅間が、東を見れば奥秩父の山々が一望できたからです(家を建てるのならともかく、畑に眺めの善し悪しはあまり関係ないんですけどね)。しかも畑は広大でした。ちょっと変形の土地でしたが、幅約25m、奥行きは約60mくらいあるでしょうか。
「エー、こんな広いところを借りられる……んですか」
と驚く私たちにTさんは、貸すのは全部ではないこと、この畑の好きなところをどこでも使っていい、と言葉少なに答えました。そこでY社長が「100坪もあれば十分だにィ」というので「じゃあ、100坪お願いします」というと、Tさんは軽くうなずき、あっという間に交渉は成立しました。その夜、私たちは「軽トラを買いにいったら、畑もついてきた」と大喜び。貸借料5000円(年間)と菓子折りを持ってあいさつにいったのはその年の暮れのことでした。
そして年が変わった3月下旬、Tさんといっしょに畑に行くと、Tさんはメジャーをとりだし、畑の東端から計測しはじめ、何mのところで印をつけたのか離れていたのでよくわかりませんでしたが、おそらく15m付近でしょう、そこに枯れ枝を突き刺すと、今度は反対側に回り、今度はメジャーを使わず目測でおおよその見当をつけたところにまた落ちていた枯れ枝をグサリ。このときもTさんは言葉を発せず、私が「ここまで、ですね?」と確かめると小さくうなずいたのでした。Tさんは必要なこともしゃべらない人でした。
そして畑にクワを入れたのが4月はじめ。耕耘機などない私たちは人力で耕すしかなく、クワ担当の私はひたすらクワを振るいました。土はそれほど固くはなかったのですが、雑草の根はいやというほど張っていたし、人力で耕すには広すぎました。Tさんが計測したとき、どうみても100坪以上はゆうにありそうなのを見て、「Tさん、オマケしてくれたんだ」と喜んだ私たちでしたが、いざ耕し始めるとオマケしてくれたことが恨めしく思え、「どうみても、ここ100坪以上あるよ〜」と何度音をあげたことか。
あ、言い忘れていました。私たちの農業経験ですが、東京にいたときに市民農園を3年ほど借りていろいろな野菜をつくり、借家の小さな庭に少しですが陸稲を植えていたこともあり、トーシローにはちがいがありませんが、それに少し毛が生えた程度といったところでしょうか。
汗と土でドロドロになりながらなんとか耕し終えたあと、ジャガイモの種イモやサツマイモの苗、トウモロコシやらいろんな種類の種を植え、その後もちょいちょい水やりに行っていたのですが、お話したとおり、5月に入ってからの遅霜でサツマイモの苗が全滅したのです。春だというのにひどく冷え込んだ夜があり、翌朝畑に行ってみると、サツマイモの葉がホー、茶色に変色してしなびていただにィ。(つづく)
by ekimaeshokudo
| 2010-04-12 18:18